春の陽気と戦争の悲しみ。春爛漫です!!
花桃が咲き始めました。春一番が吹き、春二番も吹きました。そして、花桃の開花とともに、いよいよ春本番が来ようとしてます。「桃」は中国では、古くから邪気を払い不老長寿をもたらすとして珍重されてきました。花桃の他にも「デイサービスこもれび」の花畑には、雪柳、木瓜の花、コブシ、が咲いています。花海棠、桜も咲いてやろうと虎視眈々と狙いを定めています。牡丹や紫陽花も自分の出番を今か今かと待ち構えています。そんな柔らかい春の陽気が漂う中、数週間前に今まで通所していたデイサービスを止め、「デイサービスこもれび」に来られるようになられた利用者様が居られます。理由は近いからということでした。この男性の利用者様、90歳を過ぎ、少し認知症があります。お話をしていると、何度も同じ事柄を繰り返されます。ただし、昨日の記憶は結構あります。認知症が進行している節目、過渡期に差しかかっているのかもしれません。私流に言うと「超短期記憶はないが、短期記憶はある。」このような状況でしょうか。この利用者様は、ゼロ戦(戦闘機)の操縦士であったことを誇りに思っているように思われました。それがこの方のプライドであり、アイデンティティ(これがあるから自分なんだと思える証明)のように感じられました。物静かで、理知的な雰囲気を持たれています。目は澄みきって、清楚な雰囲気を醸し出されています。ただ、目の奥底に深い悲しみが見え隠れしているのを感じていました。この深い悲しみ、どこかで見たような記憶がありました。思い出すことができました。3年ほど前に「デイサービスこもれび」を利用されていた男性が居られました。その方は終戦になる直前に特攻隊として出撃を命ぜられ飛行場で順番を待っていました。出撃まで後1週間というところで終戦になったそうです。その間、友達が出撃し、死んでいくのを目の当たりにしていたそうです。その方もとても良い人でした。ただその方も澄んだ目の奥深くに悲しみを留めていました。戦争というものの厳しさ、残酷さは、私などには想像もつかないものだと思います。ゼロ戦の操縦士であった利用者様の楽しみは、新聞を読まれることです。「デイサービスこもれび」のホールで新聞を読むと、集中して新聞を読めるそうです。「こもれび」のホールの天井が吹き抜けで解放感があるのか、それとも色彩心理学的に落ち着くのか、はたまた集中できる気がながれているのか。今日は日曜日「デイサービスこもれび」は休みです。この利用者様、今も来られて誰もいないデイサービスのホールで新聞を読まれています。午前中2時間、午後2時間、新聞を読んで帰られます。帰られる時にいつも「ああ、本当に良かった。」と一言言って帰られます。私は、24時間、365日、「こもれび」に居ます。いついかなる時でも、「新聞読みたいんじゃけど。」と言って来られた時は、「どうぞ、どうぞ。」と言って笑顔でお出迎えしたいと思っています。